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アートをドキュメントする写真家 GION氏インタビュー

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アートをドキュメントする写真家 GION氏インタビュー
Contact: info@gionstudio.com

ニューヨークを活動拠点に、アーティストの写真や街の風景を撮り続けているフォトグラファーのGION氏。

GION氏のクライアントにはファインアートの作家達も多く名を連ね、四半世紀を超えて作品とアーティスト、そしてその現場を記録し続けてきた。

ホームページには、ウディ・アレンにウェス・アンダーソン、ナタリー・ポートマンに坂本龍一、そして先日逝去されたイーライ・ブロードといった古今東西のアイコンたちのポートレートが並ぶ。

カメラとの出会いから撮影現場の様子から、ニューヨークでの活動について伺った。

Donald Judd. “100 Untitled Works in Mill Aluminum” Photo by GION

演劇に没頭していたら、カメラと出会った学生時代

― カメラとの出会いについて教えてください

岡山まで高校生活を過ごし、上京して早稲田大学に入学しました。早稲田大学に入学するとすぐに演劇サークルに入り、脚本と演出を担当していました。高校時代に小林秀雄に傾倒していたこともあり、物書きに憧れていたのです。しかし、なかなか演劇では芽が出ない。

そんなある日、お金に困った後輩がカメラを1万円で買わないかと持ちかけて来たのです。
ニコンのF2という古いプロモデルのカメラでした。それが人生で初めて持ったカメラになりました。

カメラマンとして歩み始めた東京での日々

― カメラとの出会いから撮影が生業となるまで、どのような道程を辿りましたか?

カメラを手にしてから、役者仲間をモデルにして写真を撮り始めました。すぐに、実は写真はお芝居でやっていることと非常に近いということに気づきました。舞台の上に役者を配置して演出をつけ、どこに家具やセットがあり、光はどこからどう当てるのか。舞台と同様に写真のフレームの中で構図やライティングを決めていく。

それが面白くなり、役者仲間や友達の写真をどんどん撮るうちに、卒業後すぐに、六本木のファッションカメラマンのスタジオでアシスタントとし働くことになりました。2年ほどでそのスタジオからは独立し、自分でも1年ほどファッション写真などを撮影していました。

1993年 活動の場を求めてニューヨークへ

―ニューヨークへの移住はどのようにはじまりましたか

アートが盛んなところと考えると、ロンドンやパリも選択肢としてはありました。ですが、コミュニケーションは大事だと思ったので、言葉を考えれば英語圏が望ましい。アシスタント時代のボスが以前住んでいたことで親しみやすさのあったニューヨークを選び、1993年に移住しました。

移住してすぐの頃は、語学学校に行きながら、ブラックブック(注:Photographers Black Bookは全米の写真業界の専門家を集めたディレクトリ)をめくり、ニューヨークで活躍する写真家を見つけては連絡する日々でした。そうして何人にも連絡しているうちに、フリーランスでアシスタントとして働き口を見つけました。最初の3年ほどは、ニューヨークのフォトグラファーのアシスタントをしながら、自分でもモデルやヘアメイクを集め、作品づくりのためにテストシュートを続けていました。

―自費制作で資金的にも精神的にも大変な時期を、どのように過ごしたのでしょうか? 

実はこの時期は、全くつらくなかったんです。むしろ、次はどういうコンセプトでどんなストーリーにしようかを考え、服やセットはどうしよう、どうやって撮影しようと考えながら作品を作ることが楽しくて仕方なかった。例えば10ページ程のファッションページだと想定して、ストーリの始まりから終わりまでを考える。それに合わせて、メイクやスタイリストの人と一緒にチームで作り上げていくことは、間違いなく芝居の経験が生きている実感もありました。